高校時代、席が隣だったクラスメイトに、「もっとゆっくり、落ち着いて話してよ」と言ったことがあったのを、ふと思い出しました。
今考えてみると、おそらく彼は吃音者だったのだろうと思います。
わたしの体験もそうなのですが、吃音に対しては、聞き手が、つい話し方について指摘やアドバイスをしてしまいたくなるもののようです。
そもそも、吃音は原因も解明されていないし、症状も個々に差があるものなので、接し方というのもおかしな話ですが、吃音はよくない、わずらわしいことだという気持ちで接するのがなにより悪いことだと思います。
かつては、特に幼いうちは吃音であることを、本人が気づかないように接するのがよいと考えられており、
- もっとゆっくり
- 落ち着いて話してごらん
のように声をかけたために、より話すことを意識してしまい、症状が重くなると考えられて、禁句だとされてきました。
ですが、この接し方は、自分自身で吃音を認識していない頃は効果があるかもしれませんが、認識し始めてからの子どもに対しては逆に、変に気づかわれていることに不安を感じ、自分はだめな人間だと思い込んだり、消極的になることにつながることもあります。
言葉は同じでも、気持ちによって聞こえ方は大きく変わります。
- (あなたの話をちゃんと聞きたいから)ゆっくり話して
- (おまえの話し方は聞きとりづらいから)ゆっくり話して
とでは、全然違う話し方になるのです。
話す側も、相手が心から聞きたいのだと感じれば、話しやすくなりますし、逆に、自分の話にじれったさを感じていることが分かれば一気にプレッシャーがかかり話しづらくなります。
さらに、人の話し方には「慣れる」ことができます。
わたしが「もっとゆっくり」と言った彼は、実はかなりおしゃべりな人で、毎日聞いていると、だんだん聞きとりやすくなり、そのうち、話し方にも気をとめ
なくなりました。
禁句を使わないようにすることよりも、吃音者に対する勝手な差別や偏見、同情を捨て、ひとりの話し相手として接することがなにより大事なのではないでしょうか。